2007年09月04日

食事はバランスと咀嚼がポイント
 1日のはじめに食べる朝食は、その日の活動エネルギーの源になります。

 食事はバランスが大切です。主食の米と雑穀は、食事全体の半分の量。残り半分は糖類などの植物性たんぱく質、野菜や果物、海藻などの食物繊維やビタミン類、魚介類や、牛豚鶏肉、鶏卵などの動物性たんぱく質をそれぞれ3分の1ずつ食べます。

 例としては、主食に小豆入り玄米ご飯をお茶碗に軽く1杯、副食には季節の野菜と豆腐が入ったお味噌汁、丸干しや干物などの焼き魚、大根おろしにシラス、昆布の佃煮、おひたしというような献立がいいです。

 玄米ご飯は、玄米に1割の小豆を加え一晩水に浸し、普通の電気釜で炊きます。

これに全体が黒っぽくなるくらいのすりつぶしていない黒ゴマを振りかけて食べます。

 黒ゴマをすりつぶさないのはどのくらい噛めているかを確かめるためです。食べ始めると、ゴマがプチプチと音を立てます。なっているうちは玄米もまだよく噛めていないのです。プチプチならなくなったら、さらにもう少し咀嚼します。

 よく噛んでる間に、米は唾液とまじりほんのりとした甘みがにじみでてきます。また、咀嚼している間に、胃腸は消化液分泌して食べ物を受け入れる態勢ができます。

 お米は白米よりも胚芽米、玄米食べることです。玄米は深いコクと味わいがあるので、食べた後の充足感も白米に勝ります。(ただし、胃腸が弱く、しょっちゅう下痢をしてしまう人や、歯が悪い人はそれらを治してから玄米食にしてください。

 ヌカや胚芽はたくさんの栄養素が詰まっています。玄米は発芽しますが、白米から芽が出ることはありません。生命を支える一番大事な部分が取り除かれているのです。

 白米は食物繊維やビタミン、ミネラルの多くが捨てられている状態の食べ物なのです。

 中国薬膳の考え方として「一物全体」というものがあります。「一つのものをできるだけまるごと食べる」という考え方です。

 生命体をかたちづくる成分(栄養素)は、微妙なバランスで命を支えているんです。このため、そのバランスごと摂取することが、身体にとってたいへん有効であると中国では古くから言われてきました。

 米なら玄米、魚なら頭から尻尾まで、大根なら葉っぱや皮から根っこまで、というようにできるだけまるごと全部を食べるように心がけることが、食用生の基本です

 昼食は空腹をまぎらわす程度の食事がちょうどいいのです。

 夜は、あんまり活動しないのでエネルギー源の糖質をとり過ぎないように注意し、ビタミンミネラル、食物繊維と良質のたんぱく質を中心にします。

 夜はからだの休息時間なので、カロリーをとりすぎないことです。夜の食べすぎは肥満を招き、胃腸に負担をかけてしまいます。
posted by 院長 at 11:41 | Comment(2) | TrackBack(14) | 健康情報!

2007年09月03日

自然のめぐみをそのままいただく方法

 お客さんから「どんな食事をとったらいいでしょうか」とよく聞かれることがあります。

 縄文時代の遺跡から出土される土器や人骨などからは、当時の人々が玄米やあわ、ひえ、豆、どんぐり、野菜、近海の魚や海藻、まれに鹿や猪の肉などを食べていたことが推測されます。

 気候風土がはぐくんだ食べ物をバランスよく、しっかり噛んで食べていたことが伺われます。私たちの先祖が食べて、長い年月をかけて身体になじませてきた食べ物を食べることが理想の食べ物ではないかと思います。

 中国医学の薬膳の思想に「身土不二(しんどふじ)」という言葉があります。「身体と気候風土は一体である」という考えをあらわす言葉です。

 つまり、地元でとれた旬のめぐみを食べましょうということなのです。

 たとえば日本では、暑い夏は、ナスやきゅうり、トマト、スイカなど、身体の熱を冷ましてくれる食べ物が多く実り、寒い冬には、ねぎやごぼう、さといもなど、身体を温める食べ物がとれます。その土地に実るものを食べれば、自然と身体のバランスが取れるようにできているのです。

 最近の研究では、旬の野菜や果物は味が良いだけでなく、ハウス栽培などで育てたものより、ビタミンミネラルが豊富に含まれていることが証明されています。

 たとえば、冬に取れたほうれん草は、夏場のほうれん草の3から8倍のビタミンCが含まれていることがわかっています。

 ハウス栽培や冷蔵技術が発達していなかった時代は、人はその季節に、その土地で収穫された自然の恵みを食べていました。

 この食事法こそが、最も栄養価が高く、人間の身体にあった最高の健康法で、ごく簡単で、誰にでも実践できる薬膳療法の基本です。

 四季折々に収穫される日本の食べ物を楽しむことは、健康で丈夫な身体つくりに直結し、本来の意味での、ゆたかな食文化にも繋がるのです。

posted by 院長 at 15:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 健康情報!

2007年08月31日

 病気を治すということは、特別なからだにすることではありません。

 なんでもおいしく食べられ、自分の足で好きなところへ行け、よく眠れ、便を気持ちよく出せる。
 
 これは至極普通のことですが、非常にありがたく尊いことなのです。

 ふつうに生活が送れるということは、本来、誰もが享受することができるのです。楽をしよう、いい思いをしようという余計な欲を出して、普通以上になろうとするところに、ひずみがあらわれるのではないでしょうか。

普通の生活といえば、現代人、おかげでずいぶん便利な生活を送っている面があります。たとえば、電力の発明で、夜が昼のように明るくなり、身体を動かさずともあちこち移動できるようになったのは、ここ数十年のことで、人類の歴史からから見ると、ほんの一瞬前に起こった不自然な出来事です。

 一見すると快適便利になったように見える世の中ですが、「人間」という生き物からすると、いかに過酷な生活環境にあることでしょう。

 深夜に活動する人が増え、睡眠時間が大幅にずれるようになりました。また、パソコンやテレビのおかげで、目は人類がこれまで経験したことのないような過酷な労働を強いられています。

 さらに、車や工場から排出された汚れた空気、過剰な空調、多くの食品に含まれる食品添加物や残留農薬、食肉ブロイラーや養殖魚の飼育方法。

 なんでも手に入る時代ですが、普通の良いものは遠くなりました。

 今からたった百年ほど昔の生活に思いを馳せてみると、いかに今日の生活があるべき人間の生活から大きく逸脱しているか想像に難しくありません。
posted by 院長 at 13:19 | Comment(0) | TrackBack(5) | 健康情報!