2012年11月02日

最近いろいろ考えていると、「普通、あたりまえ」という言葉をよく聞きます。

普通に考えれば…。
普通は…。
など言いますよね。

普通をネットのgoo辞書で調べると、

[名・形動]特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それがあたりまえであること。また、そのさま。「今回は―以上の出来だ」「―の勤め人」「朝は六時に起きるのが―だ」「目つきが―でない」
[副]たいてい。通常。一般に。「―七月には梅雨が上がる」
[用法]普通・[用法]普段・[用法]通常――「普通(普段・通常)は六時半に起きる」のように、へいぜいの意では相通じて用いられる。◇「普通」は意味の範囲が広く、「どこにでも普通に生えている草」のように、ありふれている、珍しくないの意、「ごく普通の子」「普通科」のように、特に変わりがない・平均的・一般的なの意に使われる。これらは「普段」「通常」は使えない。◇「普段」は、常日ごろの意に重点があり、「普段の力を出せた」「普段の心がけの問題だ」などでは「普通」「通常」は使えない。◇「通常」は文章語的。いつもどおりで特別の事情がないこと・場合をいう。「勤務時間は通常九時から五時までとする」は、「普通」も使えるが、特別の事情があれば変わることもあるという含みも込められている。

普通っていう言葉は、曖昧な部分もあるが、何が一般常識かも知れないけど、全てにおいて普通にあたりまえのことがあたりまえにできることが、一番いいということになりますね。

先輩ともはなしをしていましたが、普通のことが普通にできる人間が、今の世の中、一番輝いている人じゃないかと感じます。

あなたは、あいさつや時間、約束事など普通にできていますか?

posted by 院長 at 13:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2012年10月27日

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最近の自分の気持ちが、というか軸がしっかりしてない状態でいたので、軸を修正しようと心の中を洗浄しています。

みんなも一緒に洗浄しませんか?



「魔訶般若波羅蜜多心経」 (まかはんにゃーはーらーみたしんぎょう)

幸せになるための教え

観自在菩薩 (かんじーざいぼーさーつー)

行深般若波羅蜜多時 (ぎょうじんはんにゃーはーらーみたじー)

お釈迦様
人生で最も価値のあるものは何でしょう


照見五蘊皆空 (しょうけんごーうんかいくう)

度一切苦厄 (どーいっさいくーやく)


舎利子 (しゃーりーしー)

それは「心のやすらぎ」だろう。

では、どうしたら「心のやすらぎ」が得られますか


色不異空 (しきふーいーくう)

空不異色 (くうふーいーしき)

色即是空 (しきそくぜーくう)

空即是色 (くうそくぜーしき)

それは広い心で
毎日を後悔のないよう過ごすことだね


受想行識 (じゅーそうぎょうしき)

亦復如是 (やくぷーにょーぜー)

舎利子 (しゃーりーしー)

是諸法空相 (ぜーしょーほうくうそう)

でも悲しい出来事や悪いことが起きたら
心のやすらぎはありません。


不生不滅 (ふーしょうふーめつ)

不垢不浄 (ふーくーふーじょう)

不増不減 (ふーぞうふーげん)

是故空中無色 (ぜーこーくうちゅうむーしき)

そうだね
そんなときは、逃げず、追わず、その場所を人生の正念場
として、正しい行いをすれば必ず道は開けるよ

では、
正しいか、正しくないか
どうして判断したらいいのでしょうか


無受想行識 (むーじゅーそうぎょうしき)

無眼耳鼻舌身意 (むーげんにーびーぜっしんにー)

無色声香味触法 (むーしきしょうこうみーそくほう)

無眼界乃至無意識界 (むーげんかいないしーむーいーしきかい)

まず自分の欲から出たものかどうか、
自分に問いかけてみることだよ。


無無明 (むーむーみょう)

亦無無明尽 (やくむーむーみょうじん)

乃至無老死 (ないしーむーろうしー)

正しい事は、自分のためより、
人の役に立つことだよ。

なぜ、自分のことより人のためにするのですか


亦無老死尽 (やくむーろうしーじん)

無苦集滅道 (むーくーしゅうめつどう)

無智亦無得 (むーちーやくむーとく)

以無所得故 (いーむーしょーとくこー)

世のため、人のために行えば、
心が何事にも変えられない、自分の喜びになります。


菩提薩垂 (ぼーだいさったー)

依般若波羅蜜多故 (えーはんにゃーはーらーみーたーこー)

お金や地位、名誉など
移り変わるものに執着すると
迷いの世界に入ってしまうからね


心無罫礙 (しんむーけーげー)

無罫礙故 (むーけーげーこー)

無有恐怖 (むーうーくーふー)

そうなんだ。
自分本位にならず
みんなのことを思っていけばいいのですね。


遠離一切顛倒夢想 (おんりーいっさいてんどうーむーそう)

究竟涅槃 (くーきょうねーはん)

相手をいたわる心で生きていれば、
人をいつくしむ(慈悲の)の心が生じる


三世諸仏 (さんぜーしょーぶつ)

依般若波羅蜜多故 (えーはんにゃーはーらーみーたーこー)

人が人をいたわる心になった時、
この世は幸せに満たされた世界に変わる。


得阿耨多羅三藐三菩提 (とくあーのくたーらーさんみゃくさんぼーだい)

故知般若波羅蜜多 (こーちーはんにゃーはーらーみーたー)

悲しみや苦しみは、
分かちあえば半分になり、
喜びは倍になる。


是大神呪 (ぜーだいしんしゅー)

是大明呪 (ぜーだいみょうしゅー)

是無上呪 (ぜーむーじょうしゅー)

是無等等呪 (ぜーむーとうどうしゅー)

そうか、
それが般若心経の教えなのか


能除一切苦 (のうじょういっさいくー)

真実不虚 (しんじつふーこー)

故説般若波羅蜜多呪 (こーせつはんにゃーはーらーみーたーしゅー)

人間は仏様から智慧をさずかっている
そして、人間の心の奥には仏様が住んでいるんだよ。


即説呪曰 (そくせつしゅーわー)

掲諦掲諦 (ぎゃーてーぎゃーてー)

波羅掲諦 (はらぎゃーてー)

波羅僧掲諦 (はらそーぎゃーてー)

みんなが争いや、愚かな行為をしないで、
幸せの種まきを、身近なところからしていけば、
幸せな世の中がきっとくる。


菩提薩婆訶 (ぼじそわかー)

般若心経 (はんにゃしんぎょう)

欲望や執着心を捨て
こだわらない心で、
自由におおらかに生きることが
般若心経の教えなんだよ。


いらいらするな
くよくよするな
ぎすぎすするな

おおらかに
おおらかに



にわぜんきゅうさんの般若心経より


posted by 院長 at 11:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2012年10月22日

さとう式では物理学的な知見から

筋肉を緩めるということはどういうことか

常に考えアプローチしています。

何故弱い力なのか?出来るだけ弱くなければいけないのか?

何故上から下なのか?


多くの人が リンパ リンパと言いながら

リンパとは何か どのようにできるのか?

理解しないまま ただゴリゴリとマッサージを続けています。




まずリンパとは何なのか?その前に血液とは何なのか?

血液とは赤血球を含む 体液のことで 酸素と栄養素を

毛細血管まで運ぶ 毛細血管では 血管壁が薄く網め状になっており

そこから 赤血球や大きなタンパク質(アルブミン)を除く

体液が 細胞と細胞の間に放出されます。 この体液には

白血球は含まれ 白血球の代表がリンパ球であり

この体液のことを リンパ液と言います。組織液 細胞間質液とも

呼ばれ リンパ管内のリンパ液と区別するために 間質リンパとも

呼ばれます。やけどの時の水ぶくれはこの間質リンパであり

リンパ浮腫のリンパは この間質リンパを示します。




この間質リンパ はとても重要で 細胞に酸素や栄養素を運び

細胞から老廃物や合成されたタンパク質 分解されたアミノ酸

を運び 分子量の小さなものは血管に再吸収され

大きなものはリンパ管に吸収されます。



狭義のリンパ液は リンパ管内の体液=管内リンパを示します。

リンパドレナージュはリンパ管開口部のフィラメントを開き

リンパ管内のリンパ液をドレイン 流すものです。

この時 フィラメントの開口は力を入れていけないので

弱い力でしましょうということなのですが

さとう式のリンパケアでは対象としているリンパ液が全く

違うので 弱い圧の理由も全くちがいます。




さとう式では 対象としているのは 間質リンパです。

圧をかけても流れません。組織間 細胞間の体液なので

スポンジにしみこませた水のようなもので圧をかければ

周りに体液が移動するだけです。

ところが筋肉の弛緩と収縮によって 組織間 細胞間の

陰圧陽圧が繰り返されると 

陰圧時に毛細血管から 体液が大量に滲み出し

陽圧時に毛細血管やリンパ管に体液が吸収されます。

ですから外圧が細胞間 組織間にかかると

血管から滲み出す体液圧に拮抗してしまいます。



出来るだけ陰圧にすること 筋肉を弛緩させることが大切で

筋肉を収縮させ陽圧にすることは強さはそれほど関係ありません。

血管から先の体液循環をさせるのは骨格筋のエネルギーなのです。


ポンプの回数によって循環されるので 収縮力が強い必要がありません。




安静時に 毛細血管から細胞間にでてくる 間質リンパの圧力は

毛細血管動脈側の血圧ー膠質浸透圧差 です。

また安静時に 間質リンパから毛細血管に再吸収されるのは

膠質浸透圧差ー毛細血管静脈側の血圧 です。




さとう式リンパケアは 物理的な理由で

できるだけ弱い刺激を心がけています。



皮膚表層のリンパ管にアプローチするわけではありません。

筋肉の走行にそって その筋肉の 間質リンパの循環を

促しているのです。 そしてその筋肉の周りの間質リンパも循環されます。






ただただ弱いほうが結果が出るから 理由もなく弱くしている訳ではなく


弱い力で 血管から出る間質リンパの流れを阻害しないで

筋の弛緩によってより陰圧になり流れやすい環境を整えて

いきます。






圧をかけない むしろ陰圧にする そこが非常に大切であり

それには物理的な理由があります。
posted by 院長 at 00:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記