2009年07月09日

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今度の日曜日は、佐賀県総合グランドにて、陸上競技の試合に出場します(^^)

佐賀市民体育大会ではありますが、四十代のおっさんが、二十代の若者に勝負を挑みます。



種目は、100mはケガが怖かったので、走り幅跳びと走高跳にエントリーしていますy( ̄ー ̄)y

っていうか、練習なんか全然していません。

無謀かも(;^_^A

かわいい女の子の声援が、エネルギーに変わるので、マックファンのみなさ〜ん、応援に来てくださいねo(^o^)o

いやっ、やっぱり来なくていい((((_ _|||))))

無様な姿は見せたくないから。
サササッ((-ω-((-ω((-[壁]

ケガしないように、トレーナーが必要かも…(/-\*)
posted by 院長 at 18:38 | Comment(6) | TrackBack(0) | 日記

人間と人生に関する基本的な発見があります。

 みなさんは、おそらく「人間というのは善人と悪人の2種類なのだろうか」ということに何度となく考えたことはないでしょうか。

 社会というのは、多かれ少なかれそうであることを基盤として成り立っています。確かに成功をおさめている人もいればそうでない人もいますし、付き合いたい人もいれば、付き合いたくない人もいます。

 テレビのフィクション物には、未だに、善玉のサムライと悪玉のサムライが登場します。実際、ヒーローと人食い鬼が出てこなければ、人の考え方にぴったりくるような物語などおそらくつくることができないでしょう。フィクションまでもが善人と悪人を使った訓話に仕立て上げられています。

 はるか昔のギリシャ哲学者たちは、善と悪という観点から、道徳的な行為を考えていました。ディオギネス(B.C412-323年 ギリシャの哲学者)は正直者を探して回り、そうすることで、正直でない人もいる、ということを暗にほのめかしました。

 そして十九世紀には、人間は強制的によくしないかぎり、邪悪な存在であるという考え方が台頭しました。

 ある学派は、幼年期が人の特性を形成する、と唱えることによって、善か悪かという点にふれるのを避けようとしました。また別の学派は、人間というのはおどかされないかぎり悪いことをするものだと主張し、その考えによって、その考えによって、社会には警察が置かれるようになりました。しかし、その警察でさえ、ときには善人と悪人がいるという考えに基づいて行動するのです。

 以上のことから人間はよいものか悪いものか、という問題があることがわかります。

 おそらくこの瞬間にもみなさんは善人と悪人の例を思い浮かべることができるのではないでしょうか。誰かを助けると考えただけで、大騒ぎをし、ひどい苦痛にさいなまれる人たちを、もしかしたらご存知かも知れません。ということは、同胞に対して邪悪な意図をもつ人がいるにちがいありません。

 そういう人たちは現に存在します。

 人間の行動には2つのタイプがあります。建設的な行動と、災害をもたらそうとする行動です。

 この2つが主要な行動様式です。ですから、物事をつくりあげようとする人もいれば、破壊しようとする人もいるわけです。


 ほかのタイプは存在しません。中間のタイプなどありません。

 害をもたらすタイプの人間は、抑制を受けて活動できない状態に(そして病気へと)追いやられることもありますし、建設的な人間もまた抑制を受ける(そして病気になってしまう)ことがあります。

 このように、行動には2つの基本があり、それぞれの行動には、付随的な行動が数多くあります。

 また、建設的になったり、破壊的になったりを周期的に繰り返す人、あるいは結合タイプの人もいます。

 つまり、善玉のサムライと悪玉のサムライがいるわけです。そしてどっちつかずのサムライはあまりにも病んでいるため、ゲームに加わることができません。

 ある権威者(ひどく病んだ人)は希望的観測から、本当の悪人なぞいない、純粋に邪悪なにんげんなんていないと言いました。彼は、恐いものなどなにもない、心配することはなにもないというふりをしたわけです。邪悪な人間はいないかも知れません。しかし、もっぱら邪悪な行為にふけっている人たちは現に存在します。

 邪悪な行為は明白であり、いたるところにはびこっています。私たちは邪悪な行為にふける人たちをいつも目にします。私たちはただ、そのような人たちを目にしたくないと思っているだけです。

 「悪人」でも人生の強力な影響を受ければ、よい人間になるでしょう。

 問題解決として、破壊的か、建設的かということ、およびどちらがどの程度抑圧されているかということです。

 悪玉と善玉を突き止める方法などを次回に教えていきます。

2009年07月06日

デジブックより

「 体内の「死の灰」から放射線・ 初の確認」の部分は、6月26日(金)NHK「ニュー
スウォッチ9」で放送されたものです。


下記より動画ニュースが見れます。
  ↓   ↓   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=P6RE7s5LMfg

原爆投下で出る、いわゆる「死の灰」。

その「死の灰」が原爆投下から60年以上たった今でも細胞の中で放射線を

出し続けている様子を、長崎大学の研究グループが世界で初めて確認しました。



細胞から伸びる2本の黒い線。

これが細胞の中で今も出続けている放射線です。



被曝から60年たった今年 初めてとらえられました。



広島と長崎に投下された原爆。

その際降り注いだのが放射性物質の微粒子、いわゆる「死の灰」です。

身体の外部から放射線を浴びる外部被爆。
一方、死の灰を呼吸などで体内に取り込んでしまうのが内部被曝。

健康に影響を及ぼすと考えられていますが、
具体的な影響はよく分かっていません。

長崎大学の七條 和子助教授らの研究グループです。

被爆者においては外部被爆というものが通常考えられていまして
内部被曝としての評価や病理的な意義がほとんど分かっていない段階です。

そこで研究グループは、すでに死亡した7人の被曝者について
大学に保管されていた組織を特殊な方法で撮影。

その結果、死の灰が細胞の中で出す放射線を黒い線として
出すことに成功しました。

七條助教授
「細胞核の横のほうから2本認められます。」

被曝から60年以上もたった今もなお
骨や心臓などの細胞の中で、骨や腎臓などの細胞の中で
放射線を出し続けている様子をとらえたのは、世界で初めてです。

さらに、放射線の分析から
この死の灰の成分が原爆の原料であるプルトニウムであることも
確認されたということです。

今回の成果は死の灰による内部被曝が人の体の中で
どのように周囲の組織を傷つけ、健康に影響を及ぼすのかどうかを
解明する手がかりになると期待されています。

七條助教授
「その時だけ被曝して障害を及ぼすのではなく
 ずーっと体の中に蓄えられたものが 少しずつ少しずつですね、
 体をやっぱり傷つけていたっている可能性があるという
 何らかの糸口になればとおもっていおります。」

原爆で被曝した人は今も高い割合でガンになっていますが
こうした患者は一見正常に見える細胞のDNAが傷ついていることが
長崎大学の研究で分かりました。

原爆の放射線が長い年月の後にも被曝者にガンを引き起こすしくみの
解明につながると注目されています。

被曝者は、今も高い割合でガンになってしまう そのしくみは
明らかになっていません。

長崎大学の中島正洋准助教授の研究グループは、
皮膚ガンになった被曝者を対象に手術で切除されたガンの周辺の
細胞について研究を進めました。

その結果、一見正常そうに見える細胞のDNAが傷ついているケースが
多く見られることが分かりました。

こうしたDNAの異常は爆心地から3キロ以上離れた被ばくした人では
5人のうち1人だったのに対し、
1.5キロ以内で被ばくした7人のうち5人にのぼっています。

中島准助教授
「60年以上前の一回の放射線の被ばくによって遺伝子に傷が
 入りやすいといったものが誘発されているのではないか。

 それは、ガンになりやすいということを示唆するデータだと考えております。」

この研究はアメリカガン学会の学術誌「キャンサー」インターネット版に
掲載されました。

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肥田舜太郎先生が講演会で話してくださったことが
この研究によって明らかになったと思います。

そして、原爆は過去のことではないことも私たちは考えなくては
ならないですね。

posted by 院長 at 19:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記