2008年01月24日

「故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知らば、

 以(もっ)て師と為すべし。」

(原文)温故而知新、可以下為師矣。

 論語より





孔子は言いました。

「古えの先人達が残した真理や学問、過去の経験を研究し、

 現在でも通用する部分を取り出して、新しいものとして

 使うことができるようになれば、人の師となることができる」と。


学問の真髄とは、研究や実験の成果から、

いつの時代でも通用する普遍的な原理・原則を

抽出することです。


個別の状況や特定の状況でのみ使える知識も

確かに大切です。

しかしながら、特定の状況でしか使えない知識は、

いつでもどこでも使うというわけにはいきません。


逆に、普遍的な知識は、万能の性質を帯びています。

なぜなら、根源法則に根ざした知識であり、真理だからです。


普遍的な原理原則を体得すれば、

あらゆる物事に精通し、すぐにコツをつかみます。

根本的なところでは、みな似通ったところがあるからですね。

そして、そのコツを他の人に教えて、

自らが師や先生となることができます。


古い知識だから貴いのではありません。

新しい知識だから貴いのではありません。

根源法則に合致した、

普遍的で役に立つ知識だから貴いのです。


新しい、古いにとらわれず、

普遍的で役に立つかどうかを基準として、

知識の良し悪しを評価する必要がありますね。


みなさんに役立つかどうかわからないですが、

頭の片隅にでも入れて置いてくださいね。




<参考文献>
「中国古典名言事典」諸橋轍次著、講談社学術文庫
「中国の古典名著総解説」南條竹則他26名著、自由国民社
「新版漢語林」鎌田正、米山寅太郎著、大修館書店
「広辞苑」新村出編、岩波書店
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2007年12月08日

「学びて時に之れを習う、亦(ま)た説(よろこ)ばしからずや。

 朋(とも)遠方より来たるあり、亦た楽しからずや。

 人知らずして憤(いきどお)らず、亦た君子ならずや。」

(原文)学而時習之、不亦説乎。有朋、自遠方来、不亦楽乎。

    人不知而不憤、不亦君子乎。

 孔子のことばより




学問で身に付けたことを、機会あるごとに確認し、

復習することほど嬉しいことがあるでしょうか。


心を許した友が、遠方よりやって来ます。

これほど楽しいことがあるでしょうか。


才能を持ち、一生懸命努力していても、

他者に認められないことがあります。

そんな時でも、決して憤ったり腹をたてたりせず、

淡々と生きていく人物こそ、君子と言えるのではないでしょうか。


孔子の生きた時代と現代とでは、

楽しみや喜びの基準や、

生活環境に違いがあります。


でも、学問の喜び、実践で復習する楽しさ、

心許せる友とのふれあいの素晴らしさは、

いつの時代でも変わらないものです。


様々な楽しみや喜びがありますが、

学問と努力と研鑚で、

自らの人間力を磨いていくことに勝る喜びはありません。


また、現代でも、才能があっても認められず、

不遇の時を過ごす人達はたくさんいます。

でも、そんな中で、めげずに淡々と努力を続けることは、

なんと貴いことでしょう。


才能や努力を認められず、悶々としている方は、

いつかきっと認められることを信じて、

めげずに着々と進んでいきましょう。






<参考文献>
「中国古典名言事典」諸橋轍次著、講談社学術文庫
「中国の古典名著総解説」南條竹則他26名著、自由国民社
「新版漢語林」鎌田正、米山寅太郎著、大修館書店
「広辞苑」新村出編、岩波書店
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2007年10月31日

今日は、思考能力がなく、こんなのもありかな!!と思ってちょっとパクってきました。


天時(てんじ)に非(あら)ざれば、

 十堯(じゅうぎょう)と雖(いえど)も、

 冬、一穂(いっすい)を生ずること能(あた)わず。」

(原文)非天時、雖十堯不能冬生一穂。

 韓非子より




天の時が来なければ、成果をあげることはできません。

たとえば、伝説上の聖天子である堯が、たとえ10人いても、冬に1本の稲の穂も実らせることができないのです。

堯は、舜と共に聖天子として崇められ、堯舜と並び称される伝説上の聖天子です。

原因は、人間が作り出します。

でも、結果は、天が発生させます。


ですから、天の時が来ないと、結果が現れないのです。


聖天子、名君と呼ばれた堯でさえ、天の時に逆らうことができなかったのですから、凡人である私達には、なおさらのことでしょう。


一生懸命努力しても成果があらわれなくても、深刻に悩んだり心配しないようにしましょう。


天の時、タイミングが、まだ、訪れていない可能性が高いです。


もちろん、方向性を間違えていないか、努力方法に問題はないかを、

再点検する必要はあります。


でも、自分にできる最大限の努力を行ったのなら、あとは、天の時を待つばかりです。


天の時がやってくると、とんとん拍子に事が進んでいきます。







<参考文献>
「中国古典名言事典」諸橋轍次著、講談社学術文庫
「中国の古典名著総解説」南條竹則他26名著、自由国民社
「新版漢語林」鎌田正、米山寅太郎著、大修館書店
「広辞苑」新村出編、岩波書店
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