2001年2月27日、親父が亡くなった日です。
梅の花が綺麗な月です。亡くなった日はとても寒い日でした。
突然の不幸が襲い、僕は、大泣きしました。
それから10年が経ちました。
僕は今日、親父の命日だったので、午前中にお墓参りに行ってきました。
親父は生前、僕から見ても、他人から見てもとても恐い人間であり、人に対して、情も深かったのです。
僕は、生まれて、物心が付いたとき、いつも親父に怒鳴られ、殴られ、ときには投げ飛ばされ、ものを投げられ、今で言えば、幼児虐待ですね(笑)
小さい頃から、夕方5時頃には帰らないと殴られ、食事で、食べるのが遅いと殴られ、寝ているときに、寝相が悪いと寝ているときも殴られ、そんな僕が、最初に家出したのは、幼稚園です。
帰ると殴られるので、怖くて帰りたくなかった。
おこずかいもあまりもらえなかったので、みんなが食べているものが食べたかったので、一番最初にアルバイトしたのも幼稚園でした。
喧嘩に負けて帰ってくると殴られて、「勝ってくるまで帰ってくるな」と放り出され、イジメられて帰ってくると放り出され。
これが、一番印象に残っている親父かな(笑)
僕は、こういう時代に「なんで、僕は生まれてきたんだろう?なんで、僕だけこんな目に合うんだろう?この世に生まれて来なきゃよかった、死にたい。」
そんなことをいつも思っていた少年時代があります。
それでも死ぬ勇気なんてなかった。
それでも途中から、単身赴任で親父が、毎日いないという生活に変わったから、お盆と正月とゴールデンウィークにしか帰って来ない。その数日を耐えれば、またいなくなる。
それで、僕は生きてこれたと思う。
でもそんな悪いことばかりではないですよ。
そんな父親でも、怒られながらもいろんなことを教えてくれた。
何事においても逃げるな。正面からどんな相手でも、ぶつかっていけ。
倒されたら何回でも起き上がれ。例え、死のうとしても、起き上がれ。
相手が必ずひるむから。
人を頼りにするな。全て自分でなんでもやれ。
常に相手の事を考えろ。
すべてのことをみんな平等ににする。
ほかにもいろんなこと言われてきました。
親父は土方をしていたけど、親父の下で働いていた人は、間違ったことをすれば、ホント、殺されるかと思うくらいやられたそうですが、しかし、給料は、ベテランも新人も一緒だったそうです。
親父は、一生懸命しているのに、給料に差を付けるのはよくない。これがすべて平等。
自分だけとか、そういうのは御法度なんです。
親父の下で、働いていた人は、ホント怖かったけど、良くしてもらったと感謝しておりました。
親父は、「人のために生きる」というのを死ぬ前に言っていました。
僕は、弱虫なんだけど、佐賀弁でひいたれって言いますが、今、辛い事や苦しいことに耐えて強く生きていけるのは、毎日殴られてきたし、怒られてきたから、打たれ強くなった部分もあり、今の環境があると思います。
「人のために生きる」はまだまだできていないけど、やっていきたいですね。
今日は、お墓参りをして、久々にまた泣きました。
自分は今、親孝行せずに終わった。
今は?と思うと…。
しかし、自分が、今ここに生きていることに感謝です。
ありがとう。
愛がガンを消した!? 奇跡は連鎖する by 韮沢香織 (04/19)
2015年1月スケジュール by 1 (01/11)
日曜日の朝にリフレッシュ!!高橋リサ先生と「朝ヨガと巨石パーク」 by マック (09/16)
日曜日の朝にリフレッシュ!!高橋リサ先生と「朝ヨガと巨石パーク」 by ちろる (09/16)