2014年02月12日

鍋島直正公に学ぶ

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鍋島直正.jpg

昨日、NHKの「知恵泉」で、江戸末期の肥前佐賀藩主の第十代鍋島直正公を取り上げられていました。

1808年10月、鎖国体制下の日本の長崎港で起きたイギリス軍艦侵入事件、いわゆるフェートン号事件があった後の警備に関わる負担が重く、1828年9月17日には九州地方や中国地方を襲い、佐賀藩だけでも死者1万人を出したと言われるシーボルト台風の影響もあって、財政が波状状態にあったと言われます。

他にも財政難なる要素が重なり、役人を5分の1に消滅し、歳出を減らしました。

この時、財政難を改善するために佐賀藩は二重鎖国をし、改善策にのぞみ、磁器・茶・石炭などの産業育成・交易に力を注ぐ藩財政改革を行い、財政は改善していったとのことです。

また、西洋の技術に追いつけ追い越せということで、蒸気船をつくることを目指し、精錬方を設置し、科学技術の導入と展開に努めた。

しかし、最初の2年間は研究が進まず、研究に注ぎ込むお金が莫大で批判されるようになったが、鍋島直正公は「これは私の趣味でやっている」という形にして、鍋島直正が自腹で研究を進め、精錬方たちが西洋の蒸気機関車が走るのを見て、見ただけをいろいろ研究して、日本で最初の蒸気機関車を作ることに成功した。

その蒸気機関車を走らせることができるまで13年かかったと言っていました。
蒸気機関車が走っているのを見て、感動し、.た早稲田大学を作った大隈重信が日本橋から新橋までを走らせたと言っていました。

佐賀藩の精錬方が作ったのは、日本で最初にカメラも作られた。と言っていました。

その後、研究を重ねて蒸気船を作ることに成功し、アームストロング砲など最新式の西洋式大砲や鉄砲の自藩製造に成功した武器を蒸気船に積んで、佐賀で蒸気船や西洋式帆船の基地として三重津海軍所を設置した。(世界遺産に申請中)

精錬方で研究をしていた田中久重が今の東芝を設立しました。

また、当時不治の病であった天然痘を根絶するために、何も対策を打てずにいた幕府に先駆けて、オランダから牛痘ワクチンを輸入し、長男の直大で試験した後、大坂の緒方洪庵にも分け与えている。このことが日本における天然痘の根絶に繋がった。

普通であるなら、この当時、他の人にワクチンの実験をするはずなのに、あえて自分の息子をワクチンの実験に使っていることがすごい!!

また、鍋島直正は、初代北海道開拓長官に命じられ、佐賀藩の民を移住させて北海道を開拓し島義勇が札幌の街をつくっていきました。

その他、満州の開拓やオーストラリアの鉱山開発など海外なども開発したのであった。


知恵泉で言われた言葉は

「かけた時間に対してその成果がでる」


日本が近代していく中で、最初の大きな役割をこの鍋島直正はしていったと考えられます。

今の佐賀の人間にこんな奴はおらんかも…。


鍋島直正の功績は学ぶべきところが多いと感じました。



posted by 院長 at 18:18 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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